研究発表 - 榑沼 範久
件数 18 件-
榑沼 範久 [招待有り]
地衣類研究会オンライン地衣類講座 2024年4月 地衣類研究会
開催年月日: 2024年4月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(招待・特別)
開催地:オンライン(Zoom)
都市の現在と未来を考える授業で、『廃墟のロビンソン』(パトリック・キーラー監督、2010)という英国の映画を観ていたときのことです。道路標識に付着する地衣類がくりかえし映し出されていました。翌月には地衣類研究会入会申込書を送りました。2022年の8月のことです。過去に自分はダーウィンに関する文章を書いたことがあるにしても、なぜこれほど地衣類に惹かれたのか。(人文学者の私が)地衣類に関心を抱く理由を話してみたいと思います。ただし、地衣類に共生の理想を投影するのではなく。地衣類に「共生」「他利」「抵抗」「美醜」を見るよりむしろ表面性、断片性、不定形、(生態系全体にとっての)”無用性”を積極的に認識する必要を感じています。地衣類は例えば菌根や菌糸のネットワークと異なり、森の生態系に寄与するわけではなく、付着した樹木と共生関係を結ぶわけでも、寄生関係を結ぶわけでもなく、樹皮であろうとコンクリートであろうと金属製の人工物であろうと無関係に、ただ付着しています。自然/生態系/ガイア全体の一部でなく、そこからただ外れた生命のありかたとして見ること、惑星生物学の対象としての生物であると提唱したいのです。『生態進化発生学: エコ-エボ-デボの夜明け』の著者の一人、スコット・F・ギルバートは共著論文(Scott F. Gilbert, Jan Sapp and Alfred I. Tauber, “A Symbiotic View of Life: We Have Never Been Individuals,” 2012)の最後を“We are all lichens(われわれはみな地衣類である)”と結んでいます。しかし、個体内外における生物的共生の全体のなかに地衣類を代表者として還元するのは、前述した地衣類の特徴を消去することになるのではないでしょうか。自然/生態系/ガイア全体の一部でなく、そこからただ外れた生命のありかた。これが例外ではない生命の概念にわたしたちが到達したとしたら、そのときこそ“We are all lichens(われわれはみな地衣類である)”と言うことができるはずです。
-
「ある日、「森は都市を欲し、都市は森を欲している」と告げられて」
榑沼 範久 [招待有り]
未来の人類研究センター都市研究会 2022年9月 東京工業大学科学技術創成研究院 未来の人類研究センター
開催年月日: 2022年9月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(招待・特別)
開催地:オンライン(Zoom) 国名:日本国
ルイス・カーン設計のキンベル美術館やソーク生物学研究所を訪ね、論考「建築の生態学」「生態学的建築をめざしてー建築とギブソンの生態学」を書いた2010-11年以来、私は「森は都市を欲し、都市は森を欲している」というカーンの言葉にとり憑かれながらも、いまだその意味を十分に理解できずにいます。特に、「森は都市を欲し」と言われても、森はどう考えているものやら。都市にしてもです。歴史のなかで森と人に共生関係があることなら分かるのですが、森がどうして都市を欲しているというのか、都市はどうして森を欲しているというのか。
そうしたなか、この8月、パトリック・キーラー監督の映画『廃墟のロビンソン』に触発されて、地衣類を探しながら浅間山の麓にある軽井沢の森や野の道を歩いていたときのこと、「森は都市を欲し、都市は森を欲している」の意味が、脳裏なのか全身でなのか、何か焦点を結んだような気がしたのです。
おそらくその焦点に合流していたのは、<都市のあとに来るもの>を探しながら、この5-6月に横浜は保土ヶ谷の常盤台にある横浜国立大学での演習「空間文化論」「空間文化論演習」で取り上げたアンリ・ルフェーブルの論考「地球の変貌のなかで都市が道に迷うとき」や、マルティン・ハイデガーの講演「物」「建てる、住む、考える」「技術とは何だろうか」、そして“季節はずれ”の猛暑日が続く6月末の東京藝大講義「メディア概論」の帰りに、上野駅構内の店で古書を見つけて買って読んだクリフォード・D・シマックのSF『都市』でした。
森のなかで、いささか気が触れたのかもしれません。あるいは、気のせいだったのかもしれません。焦点を結ぶやいなや、すでに意味がほつれていった気もします。ただ、何か焦点を結んだ感覚は残っているので、9月末の都市研究会では、<都市のあとに来るもの>を探しながら、なかば失われた「森は都市を欲し、都市は森を欲している」の意味を求めて、話出してみます。 -
「造形教育の未来的意義 〜明後日/一昨日の教育実践の視座から〜」
榑沼範久 [招待有り]
第65回 造形教育センター 夏の研究大会「造形教育の今日的意義」基調講演 造形教育センター
開催年月日: 2020年8月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(基調)
開催地:Zoom
「人新世(the Anthropocene)」の諸問題を背景に、アーサー・C・クラーク+スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅(2001: A SPACE ODYSSEY)』(1968)、スタニスワフ・レム『ソラリス(Solaris)』(1961)、石黒昇、河森正治監督『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984)、テッド・チャン「あなたの人生の物語」(2000)、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『メッセージ(Arrival)』(2016)などのSFから、造形教育の未来的意義を抽出した基調講演。
-
ビザンツ的空間、ペルシャ的空間: 下村寅太郎の観察するハギア・ソフィア、アルハンブラ宮殿
榑沼範久
都市空間研究会公開討議「西欧的空間の彼岸とイスラーム空間」 都市空間研究会
開催年月日: 2019年3月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:建築会館会議室302
-
波浪・異気・日常性:アンリ・ルフェーブル『リズム分析』を読むために
榑沼範久
都市空間研究会・公開討議「〈都市的なるもの〉/〈都市世〉の臨界へ:アンリ・ルフェーブルの言葉を媒介に」 都市空間研究会
開催年月日: 2019年1月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:神保町ブックセンター会議室
-
実在としての絵画──ボナール、新種の宇宙の構成(パネル「ボナールの絵画をめぐる冒険」)
榑沼範久
表象文化論学会 第13回研究発表集会 表象文化論学会
開催年月日: 2018年11月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:山形大学小白川キャンパス 人文社会科学部1号館 205教室
ボナールの絵画は知覚や記憶の問題系よりも、液化・気化・固体化などを経て変容する「異様なオブジェクト」の次元で見る必要があると問題を提起した。そして、「毎日の散歩」で遭遇する「新種の小さな花々の出現」に「宇宙の構成」を見出すマティス宛の手紙や、《庭の女性たち》(1890-91年)などに潜む不思議な異星的存在を示しつつ、予想を超えて変容する「メタモルファ」(レム『ソラリス』)を描く「印超派(Pata-impressionnisme)」と(ジャリをもじりながら)ボナールを命名した。また、後期ボナールを原子力開発の時代の画家と位置づけつつ、ボナール《花咲くアーモンドの木》(1946-47年)の白と青に、ヴァージニア・ウルフ『幕間』(1941年)に描かれた雲間に覗く宇宙の青を重ね、ボナールの手帖やマティス宛の手紙に綴られた「絶対の探求」を、バルザックが同題の小説で描いた絶対変容の探求と結びつけた。そして宇宙的なものと地球の生命圏・生活圏のせめぎ合いのなか、絵画は原子力とは異なるかたちで、「宇宙からの色」(H.P.ラヴクラフト)を地上に下ろす実験と論じた。
-
「物質-機械の歴史存在論―下村寅太郎哲学の生成」(パネル「批判的京都学派の技術論—その現代的含意と可能性」)
榑沼範久
表象文化論学会 第13回大会 表象文化論学会
開催年月日: 2018年7月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:神戸大学(六甲台第2キャンパス)人文学研究科B棟(B135)
-
リズム革命、リズムの生産と交渉—ルフェーブル『リズム分析原論』のほうへ
榑沼範久
都市空間研究会 都市空間研究会
開催年月日: 2018年5月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:横浜国立大学 建築学棟1階会議室
-
「音と聴取のアルケオロジー」再論 ―「聴覚性」批判からの展望
榑沼範久、金子智太郎、福田貴成、福田裕大 [招待有り]
表象文化論学会第10回研究発表集会 表象文化論学会
開催年月日: 2016年11月
記述言語:日本語 会議種別:シンポジウム・ワークショップ パネル(指名)
開催地:東京大学駒場キャンパス21KOMCEE
自身の発表では、榑沼範久による過去の論文[「声の暴力、耳の享楽」(2000年)と「音響による人体の爆撃」(2001年)]に不足していた、(音響による神経刺激ではなく)音響空間それ自体の観察・記述を展開していくために、ギブソンの聴覚論と寺田寅彦の音響空間・聴覚観察を活用することを提起することになった。
-
1942年と下村寅太郎-三木清の技術論(パネル「テクネーとエピステーメ」)
榑沼範久
表象文化論学会 第11回大会 表象文化論学会
開催年月日: 2016年7月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:立命館大学衣笠キャンパス以学館25号室
原子核分裂によって宇宙の力を捕獲しようとする諸国家の計画が水面下で進行するなか、1942年7月の座談会「近代の超克」にも参加した菊池正士は、同年12月、「ウラン原子核分裂エネルギー利用研究計画案」を作成する。「近代の超克」では下村寅太郎が、機械を器官とする巨大で精緻な「新しき身体」を捕捉すべく、空前の規模で実験される政治社会的・国家的・神学的方法の必要性を唱えていた。「新しき身体」の要求する危機をめぐる下村の認識は、『一方通行路』のヴァルター・ベンヤミンを彷彿とさせるものだ。他方、三枝博音は1942年3月、編者として『日本科学古典全書』の第1回配本(『産業技術篇採鉱冶金1』)を果たし、三木清は陸軍宣伝班員として南方のマニラに赴任する直前の同年1月に単著『技術哲学』を刊行して『構想力の論理』(1939年)の技術論を補強していた。そして1942年12月には、ルイス・マンフォード『技術と文明』の訳書(三浦逸雄訳)が出る。拡張する十五年戦期の日本・技術論の焦点として「1942年」を選び出しつつ、本発表は三木清の技術論の再読に向う。
-
畠山直哉×榑沼範久
畠山直哉、榑沼範久 [招待有り]
東京藝術大学美術学部「取手ART PATH 2012」ラウンドテーブル 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科
開催年月日: 2012年12月
記述言語:日本語 会議種別:シンポジウム・ワークショップ パネル(指名)
開催地:東京藝術大学美術学部取手校地
『LIME WORKS』『Underground』などの作品集によって、自然と人工、地球と都市の関係性を問い直してきた写真家・畠山直哉が、2011年3月11日以後、故郷・陸前高田の変異と母の死を契機に、写真という営みについて、個別性と普遍性について、そして作品を作るということについて根底から再考を迫られていた。その畠山とともに、芸術の場に身を置き続けることについて語り合うことになった。第61回東京藝術大学大学卒業・修了作品展・先端芸術表現科カタログ別冊『encode』(88-93頁)に記録所収。
-
見る、見せる、見られる
大澤真幸、榑沼範久、O JUN [招待有り]
東京藝術大学美術学部「取手ART PATH 2010」ラウンドテーブル 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科
開催年月日: 2010年12月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:東京藝術大学美術学部取手校地
思想家の大澤真幸、画家のO JUNとともに、「見る、見せる、見られる」の諸事象と諸問題に関する意見を交換した。ゴジラが人類の前に初めて姿を現した映画の場面をO JUNが最初に投影したことを受けて、議論は「見る―見られる」ことよりも、むしろ「見せられる―見せる」の軸に重心が移り、「見せられる―見せる」の軸に、より根源的な視覚経験があるのではないかという仮説に三人の意見が集約された。DVD『取手ART PATH 2010 おまえに見せたい』の映像、および冊子(1-22頁)に記録所収。
-
柳澤田美+大橋完太郎+榑沼範久+平倉圭+ドミニク・チェン「映像の生態学」
「Yebizo ラウンドテーブル season.01:オルタナティヴ・ヴィジョンズ―映像の生態学」
開催年月日: 2010年2月
記述言語:その他外国語 会議種別:口頭発表(一般)
-
人は自分を作れるか ―ロボット工学からアートまで
石黒浩、加藤泉、榑沼範久、O JUN、斉藤芽生 [招待有り]
東京藝術大学美術学部「取手ART PATH 2009」ラウンドテーブル 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科
開催年月日: 2009年12月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:東京藝術大学美術学部取手校地
ロボット工学者の石黒浩、画家の加藤泉とO JUNと斉藤芽生とともに、石黒本人や女性アナウンサーに酷似したロボットにも触発されつつ、「自己とは何か?」「心は実在するのか?」「ロボットや彫刻・絵画などの人工物に心が宿るように感じるのは、どのようなときか?」「作品と自己との関係はどのようになりうるのか?」「なぜロボットを、なぜ絵画を描くのか?」等の問いをめぐって討議を展開した。
-
戦争とメディア
榑沼範久、室井尚 [招待有り]
日本記号学会大会 日本記号各界
開催年月日: 2002年7月
記述言語:日本語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:横浜国立大学
-
“Return of the Arrow: Peeping Tom and Psychoanalysis”
Image Forum, University of Kent at Canterbury
開催年月日: 1999年11月
記述言語:その他外国語 会議種別:口頭発表(招待・特別)
開催地:University of Kent at Canterbury
-
"Against/ For the Scopic Drive in Modern Vision"
Theory in Art History: 1960-1999, The Courtauld Institute of Art
開催年月日: 1999年10月
記述言語:その他外国語 会議種別:口頭発表(一般)
開催地:The Courtauld Institute of Art, London
-
「マルセル・デュシャンのアレゴリーについて」
日仏美術学会第62回例会
開催年月日: 1994年3月
記述言語:その他外国語 会議種別:口頭発表(一般)